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    かけはし2021年3月15日号

投書


2・23集会に参加して

どうすれば天皇制をなくせるか

S・M


 2・23集会(「天皇代替わり」とは何であったのか――再定義された象徴天皇制)に参加した。私はいくつか質問し、また意見も述べた。
 質問の1つは、天皇制に関する日本共産党の立場の転換をどう考えればいいのか、何が日本共産党の転換の原因なのか、というようなことだったと思う。
 天皇制には「頭をなでるところ」と「ぶん殴るところ」がある。だが、日本共産党は天皇制の「ぶん殴るところ」だけを見て「頭をなでるところ」を見なかった。そこに日本共産党の天皇制分析の失敗があった。それが原因の1つではないか。天野恵一さんの回答は、そのようなものだったように思う。
 また天野さんは、日本共産党は転向した、転向は転向だ、他のいいかたをすることは出来ない、というようなこともいっていた。私もその通りだと思った。
 もう1つの質問は、運動の進め方に関するものだ。私は、「反天皇制の意見広告」運動や「反天皇制の国民投票」運動をやるというのはどうか、問題提起者にきいてみた。
 問題提起者の回答は、「反天皇制の意見広告」については、『朝日ジャーナル』が載せてくれたことがある、『朝日新聞』には断られた、『週刊金曜日』にも断られた、というようなものだったと思う。『朝日新聞』よ、おまえもか。『週刊金曜日』よ、おまえもか。私はそう思った。
 後で、「外国」のメディアで(「反天皇制の意見広告」運動を)やるのはどうかきいてみたが、あまりいい返事はもらえなかった。「反天皇制の国民投票」運動については、日本の世論の圧倒的多数が天皇制を支持している中でやる意味があるのか疑問だ、それと「国民投票」といういいかたには疑問を感じるというようなものだったと思う。
 「国民投票」といういいかたは「外国人」を排除するもので問題だ、と私も思った。後で、国際人民投票とか国際人民署名とかをやるのはどうかきいてみたが、あまりいい返事はもらえなかった。
 後、天皇制を批判できない国際社会とは何か、資本主義とは何か、「ファシズム陣営は悪いが、民主主義陣営は良い」というような枠組みじたいが破綻しているのではないか、原爆を投下し、天皇制を容認する「民主主義陣営」も決して良いとはいえないのではないかというような意見を述べた。
 いかにすれば非暴力的な方法で天皇制を廃止できるのか、それが問題だ。
  (2021年3月2日)


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